私の履歴書vol.5

さて、私がワークステーションに入社した理由をお話しますと、結婚して5年経過した頃、主人が心筋梗塞になってしまったからです。

その頃、社長業で忙しい生活を送る主人は、上海に出張中に心筋梗塞で病院に運ばれてしまいました。
それまでに心臓が悪い、不整脈などの兆候が全くなかったので、病名を聞いてビックリしました。
ただ、後から振り返ってみると、倒れる半月前あたりに珍しく高熱を出したことがあったのです。
その原因は、当時永平寺(福井県)の雲水修行に二人で参加していたので、慣れない座禅を1日中することで身体が悲鳴を上げたとばかり思っていました・・・しかしこの高熱こそが心筋梗塞の前兆だったようです。

当時の上海はすさまじい変化を遂げてはいましたけれど、ちょっと表通りを外れると手つかずの昔ながらの生活様式という状態です。
主人が運ばれた病院は浦南病院(プーナン)と言い(後に上海万博が開催された会場付近です)、その病院には日本語が話せる中国人医師がいました。
私が病室に到着した時にはカテーテル検査をした後で、絶対安静で手足をベッドに固定されており、中国人のヘルパーさんが病室で24時間寝泊りしていました。
日本との医療レベルの差は歴然としていて、倉庫みたいな所でカテーテルを行い、身体を寝返りさせる検査ベッドなどもないようでした。
とは言いつつも、外国人専用の病室を備える高層階の病院だったのですが。
驚いたのは、食事などがとても大ざっぱで出前を取ってもよくて(!)トンカツや焼き肉定食などのメニューから好きなものを選ぶような日本では考えられない入院食でした。
緩いというか、何というかお国柄なのか、こんなのでいいの?と思いながら出前を頼んだ記憶があります。

心臓が問題なので、飛行機に乗ることも出来ず、2週間ほど上海に足止めされました。
また余談ですが、当時ANAゴールドのクレジットカードに入っていたので、海外での治療費は全額クレジット会社が支払ってくれ、家族の渡航費や滞在費も同様だったのです。
そして、帰国時には病院の医師1名と看護師1名が飛行機に同乗し、医師への申し送りをするということに。2人の渡航費もクレジット会社の負担でした。
その2人は、関空に到着時、大阪の空と海を見て「きれい!」と、上海の空と比較して言ったと思います。
ちなみに、少し物々しい感じで関西空港の滑走路に救急車が用意されていて、そのまま主治医がいる循環器病センターに搬送され入院しました。

日本に無事戻れてやれやれと安心しましたが、またイチから検査などを行い入院は3週間ほどでした。幸いにもバルーンやステントを入れる手術が不要で、薬だけの治療で済んだのは幸運でした。
もちろん国立循環器病センターの食事は味の薄い「ザ・病院食」だったことは言うまでもありません。

最近の記事

PAGE TOP