前回のブログの続きで、「ピアノを教えていた人が、どうして社長をしているの?」と疑問が出てくると思います。そのことに答える前に、若い時に経験したことをもう少し綴らせてください。
若い時は、いろいろな悩みがつきもので、私も大学2回生の半ば頃から、自分の将来について真剣に考えるようになりました。将来何をしたいのか、どう生きていきたいのか?です。
音楽大学では、「就職活動」をする風習がなかったのではないかと思うほど、一般の大学生とは異なる空気が流れていました(実際には私が知らないだけで就活していた人もいたのかも知れません)。
私の未来を想像した時、コンサートピアニストになりたいかと言うとそうではなく、どのように音楽で生計を立てるのかハッキリと描けなかったのです。
ただ、このような狭い視野で本当に大人になってもいいのか?・・と思い始めました。
このあたりからピアノとひと言にしても、クラシックだけしか弾けないのでは拡がらないし・・と思い始め、知人を通してポピュラー音楽のレッスンに通い始めました。
つまり、クラシックのように書かれている楽譜を音に再現するのではなく、メロディーとコードだけで自分流の音楽を奏でることに挑戦し始めたのです。
これはとても難しいことでした。それというのも、子どもの頃からやっているのは楽譜通りに弾くことであって、自由に弾くことではなかったからです。
このように将来に対してのビジョンが見えない中、時間が経過していきました。
もしかしたら、この時期の悩みというのは、皆さんが就活時に「自分のやりたい事って何だろう?」と思う事と似ているのかも知れません。
私の場合は、悩んだ結果、世界は広いのだから自分の足で見聞を拡げに外国を歩いてみよう!という事でした。そして、行き先にはスペインを選びました。この時期は早朝バイトをしており、バイト代等で貯めた約50万円を持ってスペイン一人旅に出かけることにしました。
なぜスペインを選んだのかというと…。当時来日中のクリスティーナ・オヨス舞踊団のフラメンコを梅田の劇場に見に行きました。それはもう素晴らしかったのですが、フラメンコは情熱的なだけでなく、哀しみを感じるのはなぜだろう?と。もう一度見たいと思って千秋楽の東京公演を追っかけました。
なぜ、これほど心に響くのかを知りたくなり、スペインを歩くことにしました。
「私の履歴書vol.2-2」に続く